![第24回 息子と二人の生活に感じる幸せの質の高さは乗り越えてきたつらい経験があればこそ[Vol.1]](/yomimono/column/kdckd1000000zms8-img/kdckd1000000zmty.jpg)
2009/09/01
▲幅広い活躍をされている明るく前向きな小島ともみさん♪
出産翌日から料理の撮影が入っていたもので、陣痛の合間に、「とりあえず産んだら電話します」とスタッフに返事をして。
結局、産後の処置を受けながら、携帯電話で仕事の指示を出していました。
「産んだら、どうにかなるだろう」と、産前産後の休みのことはまるで考えていなかったのですが、その後も次から次へと仕事が待っていて、どうにかなるなんて、とんでもなく甘い考えで、実際は大変でしたねぇ(苦笑)。
出産する前は、仕事で息子を預けることもあるからミルクで育てたいと思っていましたが、実際は母乳がものすごく出て、絞っては飲ませて、また絞って、という状況でした。 あげく、乳腺炎になってしまい、脇の下を切って……痛かったですねぇ。
40度近く熱が出ましたが、そのときも休めないテレビの仕事があって、胸を冷やしながらタクシーで移動していました。 「小島さん、大丈夫?」と聞かれても、「がんばります~」って(苦笑)。
料理の知識を、もっと広げるために勉強がしたくて、仕事をしながら、産後1ヶ月から専門学校に通い始めました。 こちらも「産んじゃえば大丈夫かな。行ってみようかなー」と、気軽に決めました。
朝、学校に着いたら搾乳して、学校の冷凍庫に入れていたんです。 実習中も胸が張って大変でしたが、専門学校で知り合った友だちに支えられ、今でもとても仲良しです。
この頃、息子のことは、ベビーシッターさんにお願いしていました。 シッターさんはプロだから、寝かせ上手。 だから息子は昼間によく寝て、夜はギンギラギン。 そうすると私も寝られないものだから、大変でした。
でも、毎日きつくても、料理だけはちゃんとしていましたね。 料理はほんとに好きなんです。
洗濯はシッターさんにしてもらい、掃除は「ほこりじゃ死なない」って、あまりしていませんでした。 そうしたら、今度は息子がアトピーになってしまって。 「掃除しなきゃー!」と(苦笑)
料理研究家以外にも、音楽家としてハープも演奏します♪
息子は、1ヶ月健診のころから脂漏性湿疹のような症状が出ていました。
母子手帳に「アトピー」と記されたのは、3~6ヶ月のころ。 皮膚が黄色くジュクジュクになって、耳も切れてしまって。
そのときはもう、どうしたらいいのかわからなかったですね。
皮膚科でアトピー用の薬をもらってつけていたのですが、それがステロイドの強い薬で。 とにかく何がいいのかわからないから、「漢方がいい」と聞けばそれを試し、栄養食品や水、入浴剤など、「アトピーによい」と耳にしたものは、片っ端から試していました。
でも、そういうものって、値段も高いんですよね~。
「子どもを産むとこんなに大変なのか」って、思っていました。
もちろん離乳食は、アレルギー除去食で、卵は白身も黄身もダメ。 牛乳、小麦もダメだったからパンも食べられなくて、離乳食はひたすらごはんでした。 野菜もアクが強いものは全部ダメで、豆や大豆もダメなので味噌や醤油もダメ。 お菓子もほかの子が食べているようなものは一切食べられませんでした。
母乳に影響が出るため、私自身も息子と同じものを除去しなければなりませんでした。 料理の仕事では当然、試食もしなければならず、泣き泣きという感じでした。
そんな大変な状況でも、夫は、仕事でほとんど家にいませんでした。 私は、よりよいアトピーの病院を探しては息子といっしょに出かけ、あれこれ試したり、その間も、仕事をしたり専門学校に通ったり。 さすがに専門学校は6ヶ月ほど通ってやめましたが、振り返ってみると、アトピーのことがいちばん大変だった気がします。
また、息子はアトピーだけでなく、熱を出すたびに熱性けいれんも起こしていたんです。 坐薬を入れるタイミングが少し遅れると、けいれんを起こしていました。
最初のころは救急車を呼んでいましたが、「お母さん、冷静になってください」と、けいれんが始まったら時間を計ることや、経過の見方などの対処法をお医者さんから教えてもらい、そのうち私も慣れていきました。
そうしたら、今度は川崎病になってしまったんです。
≪ Vol.2(9月22日更新)につづきます ≫
小島 ともみさん (こじま ともみ)