
ダンサーの志賀育恵さんは、東京シティ・バレエ団のプリンシパル。お母さまの美代子さんが、体力づくりのためにと習わせたことがきっかけで、大きく実を結びました。子どもの習い事では常に人気のバレエですが、見かけの華やかさとは違い、プロを目指す世界は厳しさの連続。本人の意志を尊重し、陰ながら見守り続けた子育てについてお聞きします。
2008/10/07
▲「大きく育って、何事にも恵まれるように…」
主人と私は大分県の出身なんですが、娘は当時住んでいた宮崎県延岡市で生まれました。
2,100グラムの未熟児で、しばらく保育器に入っていたんですよ。
名前を何にしようか考えた時、「大きく育ってくれますように」と夫婦揃って「育」という字を選びました。
さらに「何事にも恵まれますように」との願いをこめて、「育恵」と名付けたんです。
育恵は長女で、下にはふたつ離れた弟がいます。
▲泣き虫だった1歳4か月頃/種子島にて
主人は転勤族だったので、まもなく種子島へ。 その次の長崎で弟が生まれた後は北九州へと、家族揃って1年くらいの間隔で引っ越していました。
育恵が幼稚園の頃からは単身赴任となり、会社が自宅から比較的近場ですと毎週帰ってきましたが、離島に転勤した時などは1ヶ月に1回のみ。
主人と子どもたちの会える機会が少ないので、うちにいる間はできるだけそばで過ごしてもらうことを心がけました。 だから帰ってきた時には、ほとんど主人にまかせっきり。 子どもたちも喜んでいましたね。
育恵は、体は小さくても、育てていてあまり手がかからなかったんですよ。 ただ、赤ちゃんの時はよく泣く子でした。 眠たいといえば泣き、お腹がすいたといえば泣く(笑)。
関心を外に向けると落ち着くので、抱く時には常に前に向けて、背中と私の胸を合わせた形にしていました。 またそうすれば、見える景色が同じだから、赤ちゃんにもわかるんじゃないかと自然に話しかけていましたね。
▲「アラレちゃん」と呼ばれていた2歳頃
目を離すと何をしでかすかわからなかったのが、2歳くらいの頃。
遊んでいるなと思ったら何かひっぱりだしていたり、蚊取り線香を全部折ってしまったり。 ある日、突然「痛い!」と泣き出したんです。 何ごとかと思ったら、お菓子のラムネを鼻の中に詰め込んでいて、慌てて耳鼻科につれていったこともありました。
当時『Dr.スランプ アラレちゃん』というマンガが人気で、そんなことばかりしているから、私の姉からは「アラレちゃんみたいね」なんて言われていましたよ。(笑)
志賀育恵さん