
千秋さんをはじめ、4人のお子さんを育て上げたお母さんは、今年83歳とは思えないほどバイタリティにあふれてチャーミング。自分の店を忙しく経営しながらもきっちりと筋の通った子育ては、今の時代だからこそ参考になることがいっぱいです。『向井千秋記念子ども科学館』がある館林市内のご実家で、終始ほがらかな笑い声が響くインタビューとなりました。(全5回)
2008/03/10
長男がぺルテスという病に冒され足が不自由になってしまったのが6つの時。骨が崩れるので、立ったり歩かせたりするといけない病気なんです。東京の東大病院まで行く時には千秋がいつも荷物持ちをしてくれました。その頃、私も肝臓が悪かったけれど、自分のことより長男の足のほうが大事。でもおぶっていくと、三四郎池のところで一度休まなきゃたどりつけないの。胴から足の先までギプスがかかっているから、棒をおんぶしているようなもの。くたびれ果てて座っている時に、千秋がじいっと何かを見ていると思ったら、くるっと振りむいて「おかあちゃま、私は人助けのお医者さまになるよ」と言ったの。それが医者を目指した始まりでしたね。
また、その頃の長男はギプスを外すとうれしくて、いくら言っても私の目を盗んで歩いちゃう。どうしたら静かにさせられるかと考えて、船を借りていっしょに多々良沼へ釣りにでたんです。腰掛けて一日じっとしていてくれるでしょ。そうしたら魚好きが高じて仕事(※)になっちゃったんですよ(笑)。
▲バス釣りのプロである長男・ヒロ内藤さんに釣りを教えたのもミツさん
それからの千秋は“人助けの医者”っていうのが口ぐせで。だけどそのわりには、学校から帰るとかばんを投げて遊びに行っちゃう。医者になりたいなら少しは勉強したらって言うと「子どもは風の子って言って、学校から帰ったら遊ぶんだよ。勉強は学校でしてくればいいの」って、こう言うのよ。確かに授業では身をのりだして目を皿のようにしているもんだから、先生におっかない(こわい)って言われたの(笑)。
中学に入ると、どこで調べたのか、「他に何もいらないから東京で勉強させて」と言いだしたんです。3年生も近くなったら、さらに真剣に頼むのでしょうがなく下宿させたんですよ。置いてくる時、私は涙がでる思いだったのに小さい時からほっぽりだされていたせいか平気みたいでね。そして日比谷高校と雙葉、慶応義塾女子高校とすべて受かって慶應に入学。やがて念願の医学部に入ったんです。
向井千秋さん